はんぺーたの「それってどうよ!?」

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zoom RSS 数学や物理から逃げてはならない

<<   作成日時 : 2008/03/31 21:54   >>

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これまで何度か「ゲーデルの不完全性定理」に触れてきましたけれども、実際には、普通の人にはとても手に負えない、とてつもなく長い長い数学の証明なんです。ですから私たちは、「不完全性定理」のエッセンスと、その時代背景を押さえておけばいいと思います。

「ゲーデルの不完全性定理」については、まずその当時の数学界の潮流、トレンド、こうしたものをあらかじめ知っておく必要があります。
当時数学界では、記号を使って論理を解くことが流行していました。これは大変な進歩でした。数字を使った計算だけでなく、それまで頭の中で行っていたロジックを、論理式によって紙の上で行うことができるようになったのですから。なんとなれば一つの命題を複数の人で解いたりチェックしたりできることになったわけです。
やがて人々は、矛盾のない公理どうしを繋ぎあわせて、完全に無矛盾で統一された数学の一大世界を築こうと考えるに至りました。こうして現れたのがヒルベルト計画です。


ここで決定的に重要な点は、論理的に無矛盾で反駁(はんばく)できないということが、必然的に正しい命題であることを意味する、あるいは保証する、このようなことを当時の知識層のかなりの部分が漠然(ばくぜん)と信じていたということです。ヒルベルトを初めとする数学者達が本当に信じていたのかどうかはこの際どうでもいいことです。ちょうどダーウィンが「種の起源」において進化論というアイデアを発表して、それが瞬(またた)く間に広まった、その広まったという出来事が重要なのと同じです。
ようするに自然科学の分野には進化論とか利己的遺伝子とか面白い考え方がたくさんありますけれども、重要なのはそれらの蒔かれた種ではなくて「土壌(どじょう)」なんです。ヒルベルト計画が展開されていた19世紀の終わり、すでにそのような考え方を支持するだけの下地が、知識層や一般の人達の間にできていたということが重要なのです。


数学界の知性を結集して取り組んでいたヒルベルト計画ですが、1930年に誰も予想しなかった事態が起こります。クルト・ゲーデルという一人の青年が発表した論文によって、ヒルベルト計画は頓挫(とんざ)します。ここで事の重大さに気付いたのは幸い、といいますか、不幸にして、といいますか、数学者達だけでした。数学を専門にしていた人達から見れば、それまで自分たちが信じて追い求めていた夢が消え、考え方そのものを考え直さなければならなくなったのですから大変な衝撃であったと思います。

私たちは数学界で起きた出来事について、それがどんな種類のものであれ、私たちの生活には直接影響はないと考えますね。「なんで数学なんかやらなきゃならないの? 数学なんてなくても生きていけるよ」と私たちは言います。数学というのは、こんにち仕事や生活に役に立たない学問の筆頭に上げられています。けれども、ゲーデルの不完全性定理が暗に示しているのは、数学の限界というよりもむしろ「理性の」限界なのです。

ゲーデルの出した論文は「論文」ですから専門的な言葉で書かれています。そしてさらに、証明の部分は数学的な言葉で書かれています。そしてまた、こんにちの「不完全性定理」に関する専門書や解説本というのは、やはり“教科書的な”むずかしい言葉で正確に、厳密に書かれています。ですから、興味がない、関係ないと思って読めば、自分には関係ないということになりますし、イマジネーションを働かせて読めば、これは自分にとっても、人類全体にとっても重大だということになるのです。

私たちの脳は、どうしても「間違いがない=正しい」と考えてしまいがちです。あるいは、はっきりとそう思っていなくても、完全なんだから正しいはずじゃないか、と漠然と信じ込みます。ですからヒルベルト計画のようなものが広く人々に受け入れられ、一方で「不完全性定理」の方はなかなか広まらなかったわけです。重要なのはここです。



ゲーデルの不完全性定理について「ある程度分かった」という人や、あるいは「つまらないからいい」という人にまさにうってつけの一冊があります。ロジャー・ペンローズ「皇帝の新しい心」(みすず書房)です。
タイトルを見て分かる通り、表向きには「不完全性定理」について書かれたものではありません。たぶん「不完全性定理」で検索してみてもこの本が紹介されているのを見ることは少ないと思います。一般には人工知能に関して書かれた一般向けの啓蒙(けいもう)書ということになっているようです。しかし全500ページに及ぶこの本のなんと1章から4章までが不完全性定理の説明に充てられています。それも他の本とは違って不完全性定理の数学的な美しさや巧みさ、そういった視点ではなくて、ペンローズさんらしい切り口で分かりやすく解いていきます。これは「大学でやったからもういいよ」という人にも大変面白い読み物になると思います。5章から9章までは別な題材を、ペンローズさん独自のイマジネーションを織り交ぜ扱います。そして最後の第10章でそれらがまとめられ、これからの科学が探求すべき道が示されます。
もちろん数式もたくさん出てきますし、専門の人が読んでも面白いと思います。


日本にはよく「ペンローズはインチキだ」という人がいますし、インチキだという人の本の方がよく売れているようです。
確かにペンローズさんはこの本を出して多くの人から非難を浴びたと述懐しています。しかしこれは誤解であるとペンローズさんは言っています。大事な点は、「専門家でも誤解することがある」ということだと思います。なぜなら、この本ではまさにこのような題材をメインテーマとして扱っているからです。物議を醸す(かもす)であろう題材をあえて扱い、誤解を恐れずに勇気をもってペンを執ったというところにペンローズさんの素晴しさ、品格が伺えます。
ちょうど養老孟司さんの「バカの壁」とちょっと似ていますが、人間の理性には盲点、あるいは落とし穴のようなものがあるということです。若い時、人は誰でも1度はこの落とし穴に落ちます。穴に落ちた人は、落ちたということに気付かないし、自分が前進したような気がしますから、さらにさらに自分の人生を追究します。そうするとますますおかしくなります。実際、世界中を見渡してみれば、実に様々な宗教が、宗派ごとに分かれて論争しています。新約聖書にはこうあります「自分の目の中にくずがあるのに、『お前の目にゴミが入っている』と言って取ろうとする」。

また、戦前生まれの方によくみられるのが「理系の学問が世の中をダメにした」というものです。最近では若い女性の中にも同じ種類の誤解が広まっています。「愛のない冷たいシステムが世の中を悪くしている」というものです。ここまで読んだみなさんはもう、そうじゃないんだということが分かりますね? 知性や理性はそれ自身、決して悪でも冷徹でもないのです。確かに今の世の中は病的ですが、冷たいシステムを取り除いても取り除いても、新しい冷徹なシステムが出現するだけです。



今、日本では、これからの国際社会に向けて「非製造業部門の効率化」が叫ばれています。これはサービス部門全般に働く人達が一層忙しくなることを意味しますから、確かにそうした意味では由々しき事態なのですが、それとは別に国民全体にとって副次的に深刻な事態を招く可能性もあります。特に官公庁などでいえば、完全に合理的な動機に基づいてシステマチックに組織化されてるわけですが、そういったものがいとも簡単に機能不全に陥る可能性があります。しかしながら反対しているのは残念なことに主としてそうした業務を請け負っている人達です。物事の本質を直視せず、このような自己保身の観点から反対することはむしろ事態を悪化させるだけでしょう。もっと重大で本質的な問題が、別なところにあるような気がします。

まさしく、そのまま放置しておくこともできないし、そうかといって別な回り道を探すことも困難な、そうした問題に今の日本は直面していると見るべきなのです。

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